カトの占いあれこれ

占い練習中なのであれこれとメモっていきます

タロットと○○#2「当たる占い師?」

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あんた地獄に落ちるわよ

タロットを引いていて「このカードってアタリなん?」「どれだけ当たるの?」とかをよく聞かれますので、自分の中で整理するためにも「当たる当たらない」という話をアウトプットしておこうという次第です。

 

まず第一に、占いは占いであって予言ではありません。未来を完全に言い当てることはできないので、いろんな分野においては、過去のデータや現在の動向から未来を「予測」したり、いつ来るか分からないものにおいては「予防」したり「覚悟」したりするわけです。

(そもそも占い師が完全に未来を予言できていれば、占い師をやってないと思います。高配当の馬券や宝くじを買えば良いわけですし、いろんな組織が放っておかない)

 

占いなんかのように、何かとこういうスピリチュアルなもの(あるいは、テクノロジーやら化学やら、自分がよくわからない分野に対して)を頭ごなしに信じる人がいますが、個人的には一拍置いた方が良いんじゃないかなあ、と思います。

 

「私は未来人です。○年後に大災害が起こります。これは予言です。でも自分が過去に来たことで世界線が変わってこの世界はパラレルワールドになっています」

「古代○○文明の文献にすっごい曖昧だけどなんか世界が滅亡するみたいなことが書いてあるから、これは古代人から宛てられた世界滅亡の予言だ」

こんな話よりも、天気予報とかレシピ本のほうが為になりますわな。

 

もし、今あなたが「当たる占い師」に「あなたはいつか死にます。これは予言です。」と言われたらどうでしょう?

んなもん当たり前やがな、と思うでしょうが、それは何故でしょう?

それは「生きているものはいずれ例外なく死ぬ」という知識や経験、つまり自分自身の過去のデータを参照し、未来を予測しているからでしょう。

あるいは、例えばクリエイター職の方では「自分の作品は世に残るから、自分は精神的には死なん」と言われる方もいるかもしれません。それはその人の価値観として「作品は永遠に残る」というものが根底にあるわけですから「死ぬ」という予言は、予言足りえないわけです。

こういった互いの思いのすれ違いから「当たる占い師」か「当たらない占い師」かが決まるのではないかな。と思います。

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例えばタロット占いの場合

タロットやルーン、卦のような「卜占(ぼくせん)」は、名前も生年月日も必要なく、相談者の「悩み」そのものから占います。ランダムに出た結果と相談者の悩みを当てはめ、相談者の現在位置、向かっている方向、予想される到達地点を2人で形にしながら探っていきます。

現在のルートが見えれば、次は「自分はどこに着地したいのか?」というもう一つのルートが見えてきます。今のルートから何に気を付ければいいか?どういう行動/思考をすればいいか?といったことをまた具体的に相談者とすり合わせます。

(もちろん、相談者側は自分の情報を相手に提供することになるので、抵抗があると思います。占い師側は情報が多ければ多いほど読みやすいですが、どの程度情報を開示するかはもちろん相談者次第です。隠す情報が多ければ多いほど、相談者側で咀嚼する作業が多くなってしまいます。このあたりは難しいところですね)

 

このあたりが、自分がタロットを勉強し始めて感じた印象です。そしてこれは今も変わっていません。「何かカウンセリングみたいだな」と思ったので、同時並行でカウンセリングの勉強もしています(今はあまり進んでませんが)。

 

ある程度、カード自体に付与されている意味として、コンパスのように向いている方向というものはあります。ただ、その矢印をどこから見るかによって、見た人の印象も変わりますよね。

ということで、占い師側から「このカードはアタリ」だの「当たる」だのは言えないわけです。出たカード、形にした悩みを相談者がどう感じるか?で良いカードかどうか、この引きが当たっているかどうかが変わるんですから。

 

こういうことから、自分の中で「当たる占い師」というのは「良きカウンセラー」「相手の状況をよく理解し、言語化/イメージ化するのが上手な人」という意味を持っています。自分としては、相談者に対しては、占い結果を「信じてもらう」でなく、改めて「自分を見つめてもらう」「当たってればそれでいいし、外れててもそれでいい」というスタンスでやっていきたいなあと思っているところです。

 

以上、昨日考えていたことのアウトプットでした。