カトの占いあれこれ

占い練習中なのであれこれとメモっていきます

第38回:タロットリーディング「ワンドの5」

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ワンドの5

 ワンドの5はどちらの版においても、棒を持った5人が争い合ってるイラストです。

 並べて見ると、シャーマン版の方が「戦い」の様子をよりフォーカスしているのが伝わってきます。一方のライダー版ですが、シャーマン版に比べて「どたばた感」は少ないように見えます。拮抗感?(とでも表現するか)が印象的。

 

 両版とも、少し違和感を覚える部分が2点あります。1点目は、手にしている武器=棒が長いにも関わらず、戦闘距離は素手の距離であるという点です。つまり武器のリーチ、強味が生かせないような距離感なんですよね。

 2点目は、カードの登場人物の服装です。どちらの版も、どう見ても戦闘用の準備はしていません。着の身着のまま…といった風体。

 また、シャーマン版は服装・外見が同じような人たちが描かれているのに対し、ライダー版ではそれらはばらばらです。

 

・ワンドは「火」のカード、心の底から湧き出る情熱のカード。

・「5」は安定・停滞していた「4」の次の番号、動きを与え安定を崩す番号。

 

 カードの意味としては「意識/意見/思いの衝突」と読めます。表しているのはあくまで意見衝突やそれに伴う不和・悩みであって、実際の戦いではないでしょう。殴り合いとか。軽装である点も、現実の戦いでなくて精神的・机上での戦いである、ということを指していそうです。

 またカードの絵柄として、シャーマン版は「自分自身、あるいは仲間内」、ライダー版は「異なる(意見を持つ)人」が強調されているように感じます。

 

 カードの登場人物は棒のリーチを上手く活かせませんから、自分の力を振るうこと以外にも、自分と他者の距離感や位置取りも気にしなくてはいけません。また、全員軽装ですから、自分だけ無傷で済むとは考えづらい局面です。

 つまり、誰かが一方的に意見を押し付けてその他が圧される、という関係ではなく、今あるバランスを崩してでも、みんながみんな前に進む/あるいは元に戻すために情熱を燃やし、だからこそ起こる衝突や葛藤……といったシーンなのでしょう。

 

 人間関係、言葉でのコミュニケーションは難しいものです。社会や恋愛の場では、そこにさらに「本音と建て前」や「カマかけ」、「言葉の彩」など……。ただでさえ難しいのに、自縄自縛するように、さらに迷路めいたことにしてしまいがちです。

 意見や思いが衝突するのは、正直、しょうがないというか当然の現象だとは思います。でもそこで「いい衝突のしかた」を考える人って、あまりいないのかな、とも思います。

 人と人なんですから、お互い優しくいきたいですよね。

第37回:タロットリーディング「女教皇」

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教皇

  「女教皇」は「魔術師」の次のカード、数字では「2」番目のカードです。

 カードを見ていきましょう。両版とも白と黒の柱に幕が掛けられていて、その前にドレスを着た女性が座っています。また、月の意匠も共通しています。

 幕に描かれているのは果物のザクロで、女性そのものを表しているようです。

 

 シャーマン版では、白いドレスの女性が手に百合?を持っています「白」も「百合」も純粋無垢さを表しているようです。

 一方ライダー版は、全体的に青が基調です。爽やかさや冷静さを感じます。また、ライダー版の女教皇は手に「TORA(トーラー)」と書かれた巻物(これは「宇宙の真理というものは、人間には容易に理解できない」という意味のようです)を持っています。

 

 「女教皇」という文字面から、他のカード(女帝、皇帝、教皇)と対比して「精神的に高位にある女性性」的な性格があります。

 また、柱と、柱に掛かった幕(ベール)から、教皇の「人に教えを授ける(という性格)」に反して「他者には明かさない部分/それを守る門番」といった印象を受けます。
kato-tarot.hatenablog.com

 

 そのため、このカードからは「秘密、隠し事、理解できない面、理論でなく直感の領域」といった読み方ができそうです。また月の意匠からは「安心・安寧を求めるような心のありよう」も感じられます。

 悪い影響として現れるのならば「秘密主義がすぎる、悪い意図/罪悪感の伴う隠し事、理解できない事柄(への強い当たりや攻撃性)、直感や感覚の軽視、安心感の欠如」といった読み方ができると思います。

 

 タロットでは古い意味での「男性性」や「女性性」の意匠が登場します。

 少しジェンダー的な話になり、完全な持論なのですが、性別というものは<<少なくとも>>、「物理的な肉体:生物学的に男性/生物学的に女性/どちらも」×「精神のあり方:男性であるという感覚/女性という感覚/どちらでもない/どちらでもある」×「性的指向:男性/女性/どちらもあり/なし」の3×4×4=48通り……。考慮できていない部分や知識不足な部分も含めると、もっともっとある…少なくとも100種類はあるんじゃないかと思っています。

 

 タロットにおける男性性、女性性やキング/クイーンといった要素も、無理に「男女二元論」に当てはめない方が読みやすいです。

 人にはそれぞれの性格がありますし、あくまで「古くはこう解説されていた……」ととるのが、現代では自然になってくるのでしょう。

 

第36回:タロットリーディング「カップのクイーン」

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カップのクイーン

  カップのクイーンのカードは、玉座に座った女性のカードです。青いドレスに身を包み、手には杯を大切そうに持っています。そして玉座は水の只中にあります。シャーマン版では、クイーンのドレスが足元の水面と同化しているようにも見えます。

 背景の水面はとても穏やかです。それはどこか、クイーンが手にしているカップと、このカードの世界の水が連動しているような、クイーンが水を穏やかになるように「平定」しているような印象を受けるのは自分だけでしょうか。

 

 クイーンは水、カップも水ということで、このカードは水の水です。ということで、クイーンとしてはこの場はとても居心地がいいのように感じます。

 両版ともに、クイーンはどっしりと玉座に腰かけており、これから動き出すようには見受けられません。手にした杯をこれからどうするか、どうなるかは全くわかりませんが……。

 

 このカードとしては「とても思いやりの深い/慈悲深い人物」と言えるのではないでしょうか。

 水=感情は、ふとした衝撃で波紋が起り、その波紋は広がり、また別の波紋と干渉しあいます。杯(カップ)が表す感情の世界とは、自分の感情の水面だけでなく、他者のそれも含めた世界だと思っています。なので、感情の世界を司る杯を持ち、堂々と座っている(シャーマン版)/真剣に見つめている(ライダー版)クイーンの役割は、自分および他者にまたがるこの「感情の海」を観測すること、そして平定すること、にあると読みます。

 

 このクイーンが機能しない、あるいは悪い方向に作用してしまうのならば「他者からの感情の波をモロに受ける→こちらも不安定になる、周りの感情論に流されてしまう、自分の感情を抑えきれない」というようになってしまうのでしょう。

 

 クイーンは杯を見つめて、あるいは抱えて何を考えているのでしょう。心の平穏を望んでいる?それとも注意深く観察している?

 クイーンは手にした杯で、何ができるのでしょう。周囲の水を操る力を持っている?それとも眺めていることしかできない?

 静かで静止的・受動的な印象のあるイラストですが、その奥には感情の渦や怒涛の嵐の可能性も孕んでいるカードだと思います。

第35回:タロットリーディング「節制」

 節制とは、古代ギリシア以来の西洋における重要な徳目の1つ。「枢要徳」(四元徳)の1つにも数えられる。

ギリシア語で節制を意味する「ソープロシュネーは、「ソー」(健全な)と「プロシュネー」(思慮)の合成語であり、語義通りには、「思慮の健全さ」を意味する

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%80%E5%88%B6

 

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節制

 

 今回のカードは「節制」です。

 両版ともに「水に片足だけを入れた天使」が「手にしたカップ」の「中身を入れ替える/混ぜる」イラストになっています。

 景色はシャーマン版は険しい山場、ライダー版は草の茂る水辺と丘と異なる部分があります。前者はどこか「修行」を思わせ、後者は「リラックスした瞑想状態」といったイメージが浮かびます。

 景色に置ける共通点としては「日の出」のシーンである、ということでしょうか。ライダー版では灰色の夜明け前の空に見えます。シャーマン版では青空、さらに虹も出ています。

 

 「天使」がカップ=感情を混ぜ合わせる/動かすということで、ささくれ立って荒れている感情・沈んで淀んだ感情を平定・中和する・中庸の方に向ける、といった印象があります。

 また、天使が着ている服の胸には「△」(=三位一体?)が描かれています。それに立っている場所も水辺で、白でも黒でもない「グレー」の状態と言えます。これらから、この天使は(感情・精神といったものの)バランスを取る・清濁併せ呑む存在のように思えます。

 

 ここから、「瞑想、安定・バランスを取る、慎重に思慮深く作業をする、どっちつかずの状態(を許容する)」という意味に感じます。

 天使が杯を操作していますから、もしかしたら我々人間には触れられない、(あまりこういった言い回しは好きではないのですが)高次な領域での動き・流れ・営みも表しているかもしれません。

 悪い方向だと、精神面で乱高下・沈み込むだとか、落ち着いていられない、白黒でないとならない。あるいはもっと大きな流れのサインとして、忙しい時期であるとか、荒れがちな環境になる、とかでしょうか。

 

 健全な精神と健全な肉体はイコールではないですが、ここで現れるのはそのようなイメージなのでしょう。中庸で寛容な思慮(=思考)によって朝(=新しい世界、展開)を迎える、といった。

 

 話は少しそれますが、節制のカードはトートタロットにおいては「技」と名前を変えています。

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技(Art)

 このカードは錬金術の様子を表しています。

 錬金術は「不浄で無価値で無力である死んだ物を、貴重で活発で記述的な生ける物に変成する」営みです。異なるものを混ぜ合わせて、新しい価値を作り出すようなイメージですね。

 節制のカードも技のカードも、異なるものを許容し、新しいステージへ向かうための第一歩を表しているのかもしれません。

 

第34回:タロットリーディング「カップの2」

やれることはやれる内、やる気のある内にやっておきましょう。

ということで頑張って連続で記事を書いています。スプレッドシートにこの連載の残量が見られるように可視化もしましたし、タスク分割もしました。

記事の投稿予備も抱えつつ、書いていければいいんですが…。

 

さて、今回のカードは前回からカップ続き、カップの2です。

 

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カップの2

カップの2は2人と2つのカップのカード。

シャーマン版では男女が杯を交わしています。女性は淡い青色のドレス、男性は同じ色の上着を着ています。表情も雰囲気も、なんだか軽い、和やかな印象です。また2人の人相や服装から、性別は「違」えども、年齢、階級、好みなんかが「似ている」2人なのかな、とも推測できます。

ライダー版では青いローブに緑の冠の男性と、黄色い装束に赤い冠の男性が杯を交わしている絵です。こちらはシャーマン版と比較すると、互いに男性という「共通点」はありますが、階級や立場(あるいは役割?)が「違う」2人であるように思えます。また、シャーマン版と同じように、穏やかというか、旧友と会っているような、和やかさを感じます。

 

この部分から見えてくるのは、他者との和合、特に「似ている部分も違う部分もある相手との交流」というポイントだと思います。

カップは感情、愛情でありますし、2人以外の他者もいませんから、さらに言えば「特定人物と交友を進める」というカードに感じます。

 

また両版とも、2人の上部には翼の生えたライオン(?)がいます。おそらく天使でしょうか。さらにライダー版では、相互に絡み合った蛇も。

 

 

人は1人ではただ「存在」でしかありませんが、もう1人の「他人」が現れればそれは「関係」へと変化し、さらにそれ以上となると「グループ」や「社会」を形成するに至ります。

このカードは2人だけのカード。まさにここに「人と人との関係」が現れているということです。となると、上述したようなよさげなことばかりではありません。

 

互いの「同じ」も「違い」も、ともに高め合う素にもなれば、争いや対立の素ともなります。

「同じ」は共感しあえる仲間の構造。でもそこに上下や優劣がつけば?

「違い」は分かり合えない対立の構造。でもそこに理解や譲歩が及べば?

感情という杯の中の水は、互いに変化し続けます。これが人と人との関係、社会における人間関係の難しさ、もしくは楽しさに繋がっていくのかな、と思います。

 

最近、多様性がどうこうと話が活発だったりしますし、実体のない「世論」という空気感が、良し悪しの価値基準となりがちです。

1人では人間は生きていけませんが、滅私し他者に迎合していかなければ、社会的な生を得られない場面も多い状態です。そんな中、自分と他者の「同じ」と「違う」を上手く和合させていければ、心穏やかに過ごすことができるのかもしれませんね。

第33回:タロットリーディング「カップのキング」

お久しぶりです。 前回の投稿が2019/07/13でした。

今日は2020/04/18……日数にしてなんと280日、9ヶ月もブログから離れてしまいました…。

このまま放置するのもなんか負けたみたいで嫌なので、頑張って再開していきます。

あ、ブログのトップ投稿も変えなきゃな…。占いの受け方やその他もろもろ、環境が変わりましたので。

 

さて、9ヶ月寝かせていた10行くらいの下書きに鞭打っていきましょう。

今回のカードはカップのキングになります。

 

 

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カップのキング

両版での違いは体の向きくらいでしょうか。

行動の右手にカップを持った男性が、王座に座っている絵柄です。シャーマン版はどっしりと座っているように見えますが、ライダー版では一歩足を踏み出して、立ち上がりそうな雰囲気も見えます。

思考の左手には、シャーマン版は球のようなもの、ライダー版は杖のようなものを持っています。これが何かは分かりませんが「王としての役割」を与えるようなものなのかなあ、と思います。権威とか。

 

このカードは水の宮の風となっています。水は感情、風は思考です。

この2つの元素ってあまり相性が良くない印象で、風は何にも縛られず吹き渡るのに対し、水は重力に引かれ下に落ち、器によって形を変えます。そして合わさったら暴風雨になる…といったイメージです。

つまり「キング」は理論的な思考が得意なのに対し、その玉座は感情論の世界に置かれてしまっているわけです。

そう思うと、なんだかカードの表情も「この場所めっちゃ苦手だけど…王としてしっかり座って平静保ってなきゃな…」みたいな顔に見えてきました。

 

解釈として、互いに逆の属性を持つソードのクイーンが厳しめな印象を受けるのに対して、カップのキングは「(苦手だけど)自分の思考力で感情論を理解してあげようとしている」懐の深い人物、あるいは素質の暗示と見れるのかなと思います。

 

kato-tarot.hatenablog.com

 

あるいは、感情的な場において思考でその状況を論理的に整理する必要がある、とか、感情と思考のバランスを上手くとって主体的に動く、だとか。

逆に見るなら「苦手な環境で動きが取れない」とか「感情論に振り回されて怒りっぽくなる」とかでもいいのかもしれません。

 

人にはいろいろなタイプがいます。

時には自分が得意でない人や、集まりに投げ入れられることもあるかもしれません。

そこで自分を前面に出して行ってもいいんでしょうが、一般的にはバランス(もっといえば、自分と他人の「責務」の境界線の調整)が必要です。

もし、その場が理論でなく情で動いているようなところだったら?解決には合理さが求められているのに、それを言えるのが自分だけだったら?

そんなとき、あなたは「カップのキング」の責務を負っているのかもしれません。

第32回:タロットリーディング「ソードの8」

 第32回まで来ました。

7月中旬~8月にかけて少し忙しくなるので、ブログの更新が滞ることになります。単純に、文字出力する気力も欠けていくと思います)。

 

また、新しいコンテンツやリーディング以外での投稿も増やしたいと思っています。占い師紹介も、もっと拡充したいと思っています。お金を溜めて、依頼していきたいですね。新しいコンテンツについては、今はネタ探しの段階ですので、何か良いアイデアありましたら教えてください。

 

 今回はソードの8のカードです。不吉というか、いいイメージは浮かばなさそうなカードですね。

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ソードの8

 シャーマン版は青い服の女性が描かれています。目隠しをされて、体は縛られています。彼女の周りには剣が刺さっていて、彼女を閉じ込めているように見えます。背景は険しい森、切り立った崖の上の城、空には雲が重く立ち込め、鳥が飛んでいます(カラスかな?)。

ライダー版も基本の構図は同じですが、異なる点を挙げていくと、まず服の色が赤になっています。また、手は後ろ手に組まれています。それと、足元はぬかるんでいるようです。

全体的に重い雰囲気、暗い雰囲気のカードですね。剣は攻撃の役目、物事を切り分ける役目があるんですが、このカードにおいてはそういった役割が感じられません。ただの障害物といいますか、彼女を傷つけるだけ、抑圧するだけ、といった存在感です。なんだか嫌な奴ですね。

 

 ただ、どちらのカードでも彼女の足は縛られていません。動こうと思えば動けますが、剣に触れれば傷ついてしまいます。

ただし、剣には隙間があります。完全に彼女を閉じ込めている訳ではないんですね。彼女からは見えませんが……。傷つくことを恐れなければ、歩いて簡単に逃げられる環境にあります。ですが、本人はそれが見えないし、縛られている恐怖感もあるでしょう。なんともかんとも…周りから見れば滑稽な光景なんでしょうか。本人にとっては重大問題なんですけどね。

 

というわけで、このカードが出る時は「動けない、周りが見えない不安感」あるいは「外部からのプレッシャー、傷つきたくない」とかでしょうか。あるいは「解放されたい、どこかへ行きたい」と思っているかもしれません。

 

 剣(ソード)は風の元素、思考を司っています。縛られた体と目隠しからは、考えが自分の殻に閉じこもっている、もしくはぐるぐると思考が混乱しているような、硬直化しているような印象を受けます。

こういう状況は目隠しをとってしまえば、物事の本質を見てしまえば、意外となんでもないことなのかもしれません。自分がこういう状態になっていると自覚できるのであれば、他の人を使ってでも、目隠しを取って、動き出す意欲を出して行ければ、好転するのかもしれませんね。